オフ・オフ・ブロードウェイとは?

ブロードウェイはニューヨークのマンハッタンにある通りの名前であり、500席以上の大劇場を指します。500席以下の劇場をオフ・ブロードウェイと呼び、さらに100席以下の小さい劇場を「オフ・オフ・ブロードウェイ」と呼びます。ラ・ママ実験劇場はオフ・オフ・ブロードウェイの潮流が作られる端緒となりました。


エレン・スチュワートとラ・ママ実験劇場

エレン・スチュワート女史は、1919年アメリカ・シカゴで生まれました。

1950年にファッションデザイナーを目指してニューヨークに移り住み、黒人差別も激しい中、デパートのエレベーターガールなどをしながらデザインを続け、ついにはエグゼクティブプロデューサーまで上り詰めました。

 

同時期、義理の兄が戯曲を書き溜めていましたが、黒人の劇を上演してくれる劇場はなく、エレンは地位も私財も投げ打ってラ・ママ実験劇場の前身であるラ・ママカフェを1961年に創立しました。

 

その後場所を転々としながらも舞台を守り続け、世界各国からアーティストを招き舞台芸術の支援、育成を行ってきました。このように、人種差別があったこの時代に「舞台の上では差別なく活躍できるよう」と作られたのが「ラ・ママ実験劇場」なのです。

 

舞台を無料で貸し出すなど資金のない新人役者を数多く受け入れ、商業ベースにとらわれないあくまで実験的であり前衛的な作品を続々と公演し、やがてニューヨーク演劇界に革命をおこし、その後「オフ・オフ・ブロードウェイ」と呼ばれるきっかけとなりました。

 

現在にいたるまで延べ150,000人の舞台芸術家がラ・ママから紹介されています。アル・パチーノ、ロバート・デニーロ、ダイアン・レイン、エリザベス・スウェイドス、サム・シェパード、など名前をあげればきりがありません。舞台でもブロードウェイミュージカル「ヘアー」や「ブルーマン」など世界に羽ばたいた作品も数多くあります。

 

また、タデウス・カントール、アンドレア・セルバン、寺山修司、東由多加、大野一雄、ピーター・ブルックなど数々の海外からの芸術家もラ・ママの舞台からアメリカへと紹介されました。

戦後の舞台芸術文化交流の先駆けとなった劇場とも言えるでしょう。

©La MaMa Archive  Ellen Stewart Private Collection